死にたいけど自殺しない話

最初に言ってくとこれはあくまで僕個人のことだ。うつ病と診断されていてもその辛さは人それぞれであることをわかったうえで読んでほしい。

 

題名の通り僕は4年ほど前から死にたい、消えてなくなりたいと思うようになった。

仕事で怒られたことは殆ど無い。ただ一人すぐにイライラして物に当たる先輩が隣の席だった。その先輩が苦手だった。

そして3年前突然体が動かなくなって会社に行けなかった。ベッドに貼り付いたように体を持ち上げることができなかった。

ずっと死にたかった事もあって後日心療内科に行ったらうつ病と診断された。薬を飲みながら仕事に行っていたが2年前休職することになった。

その頃にはもう死にたいけど死ぬ気力すら無かった。生きることに罪悪感を感じ食事もろくにしなかったしお金を遣うことにも罪悪感があったので買い物もほとんどしなくなった。

趣味も全て辞めた。

実家に戻って休養になったが両親が嫌いな僕は早く実家を出て東京に借りてた家に戻りたくて体が動くようになってから元気なふりを始めた。ウォーキングもして家事もして医者にもう大丈夫と言い続けた。

3ヶ月位で東京の家に戻ってリワークに通い始めた。正直リワークには行きたくなかったけど産業医がリワークに行くように言ってきたから行かないと復職できないんだろうなと思って通った。

リワーク中うつ病の体験談を書いた本を何冊か読んだが当てはまらない事が多くて何も参考にならなかった。

同じうつ病でもきっかけが違うし人の考えはそれぞれだから仕方ない事だが同じうつ病の中でも共感出来ないことでもうどうでもよくなっていった。毎日死にたいと思いながら大丈夫と嘘をついて復職した。

 

今回こんな話を書いたのはまたうつ病が酷くなってきたからだ。この記事も昔の事を思い出したせいか泣きながら書いてる。

僕は死ぬ方法も具体的に考えたしエンディングノートも書き終えてる。方法について具体的には書かないが自宅でも簡単に死ぬことは出来る。多少苦しむかもしれないが。

 

そんな僕が未だにずるずると死ねずにいるのは1つは死んだあと色々な人に迷惑がかかるからだ。大家さんとか、死んだ僕を最初に見つけることになる誰かとか。

2つめは心の拠り所にしてるぬいぐるみだ。2年前クリーニングを依頼してつい最近順番がまわってきてキレイになって帰ってきた。その帰ってきた時に吹き出しの付箋に1言これからもずっと一緒にいようねと書かれていた。死んだらもちろん一緒にいれない。死にたいのに死ねない理由が増えた。

 

楽しかったことがもう一度思い出せればいいのに